1932年以来生産され、全
鋼製ボディ・油圧ブレーキを備えた近代的大衆車で市場での成功を収めていた508「バリッラ」
(正式名称は508C)の後継車として1937年に発表された。さらに小型の500「トポリーノ」と
直列6気筒エンジンを持つ中型車の1500の中間車種となる。
トポリーノを拡大したような魅力的な流線形スタイルの4ドア・ピラーレスセダンのボディ、前輪独立サスペンションなどの進歩的な設計は、
「トポリーノ」の開発に携わったダンテ・ジアコーサが担当した。開発段階では後輪も独立懸架にすることが検討されたが、
コストの制約から実現しなかった。
1932年に設計されていた旧バリッラ系の1000ccサイドバルブ、3ベアリングクランクシャフトの直列4気筒をベースとし、
そのスポーツモデル用であった、排気量を拡大しヘッドをOHVとした1089cc 32馬力のエンジンを流用し、トランスミッションは
4速MTとされた。
実用的な小型4座ベルリーナとして設計されていたにも関わらず、居住性、操縦安定性、そして最高速度110km/hの動力性能は、
いずれも当時の欧州における同クラスサルーンの水準から抜きん出ており、ことに旧式な設計の大衆車が主流だった英国では
スポーツサルーン扱いされるほどの評価を得た。
更にこのシャーシとエンジンをベースに、前衛的な超流線型の2シータークローズドクーペボディを与えたレーシングモデル・
508CS「ミッレミリア」(MM)が1937年から1940年までの間限定生産された。1100ccのまま42HPまで強化されたエンジンと
空力特性のおかげで140km/hに到達、実際にレースフィールドでも活躍した。
更にこのモデルは1100Sと名を変えフェイスリフトのうえ1947年から生産が再開されて1950年まで限定生産、最終的には51HP・
150km/hに到達して、終戦後間もない復興期の欧州レース界で活躍を見せた。
フィアット自社のみならず、1940年代後期以降のイタリアで勃興した中小零細のスポーツカーメーカーにも「1100」のエンジンは
適度なサイズと価格、そしてチューニングポテンシャルの高さから愛用され、少量生産の小型スポーツカー多数が
「1100」エンジンをチューンして搭載、高性能を競った。