1972年モンディアル・ド・ロトモビルにて発表。マセラティ・ボーラの弟分的存在として、ボーラをベースに当時のマセラティの親会社、
シトロエンと共同開発された。開発コードはティーポ122。
デザインはビンテージフェラーリや70年代のドゥカティなどの芸術的な車やバイクを造ってきたジウジアーロが担当。
エンジンはマセラティからシトロエン・SM
に供給されていた、3.0L
DOHC
V6
エンジン(190馬力/6,000rpm26kgm/4,000rpm)
を使用、ミッドシップ
に配置する。最高速度は245km/hを記録した。このエンジンは、後述の油圧ポンプ
を駆動するための、
非常に長い補器シャフトを持つ。V8
を積むボーラよりエンジンが短くなった分、メラクは後席用となるスペースをやや広げる事が可能になった。
シャシーはスチール製モノコックと、マルチチューブラーフレームの組み合わせである。
前後ブレーキ、及びリトラクタブルヘッドライトの動作にはシトロエン独自の油圧システム『ハイドロニューマチック』を採用している。
この油圧システムは当時としては非常に高度な機能を備えていたが、反面高い油圧を維持し続ける必要があるため、
スーパーカーとしては致命的なエンジンのパワーロスが生じ、また配管の継ぎ目の多さから慢性的なオイル漏れは避けられない状態であった。
(システム全体では、多少の漏れは影響がない)結果、メラクの信頼性はこの油圧システムを採用したことで当時の水準から見ても低いものとなった。
メラクSS
1975年、ジュネーヴ・モーターショーにおいて、パワーアップした『メラクSS』を発表。シトロエンとの関係を絶ったため、
シトロエンとの部品共用も廃された。エンジンは3.0L V6をそのままに圧縮比を上げるなどの改良を施し、
最高出力 220馬力/6,500rpm、最大トルク 28kgm/4,400rpmまで高められた。
1976年、トリノモーターショーにて『メラク2000GT』を発表する。これは新たな親会社となったデ・トマソの指導の元、
イタリア国内での排気量に関する税制上の優位性から、2.0L V6エンジン(170馬力/7,000rpm、18kgm/5,700rpm)を搭載したモデルである。
2Lエンジンとは言え、最高速度は220km/hを誇った。
1983年生産終了。総生産台数1,830台、生産期間12年という、マセラティとしてはA6、ビトゥルボに次ぐ長寿車であった。